「アイディアを45日後に商品化する」アパレル会社:ゲスト ハニーズ江尻義久社長(2)

投稿日2013/10/26

アイディアを45日後に商品化する」アパレル会社:ゲスト ハニーズ江尻義久社長(2


 若い女性向けのアパレルの製造・販売を行う株式会社ハニーズの江尻義久社長は、流行を先取りせずに、「馬が第四コーナーを回ったところで馬券を買う」商品企画戦略を編み出したことを前回お聞きしました。そのためには、企画から商品化までの期間を可能な限り短くしなければなりません。ただ、この戦略実現には細かい生産オペレーション改善の積み上げが必要でした。最初はアパレルの販売から事業を開始した同社がモノ作りのノウハウを得て行く過程で、上記のような事業戦略が形成されて行きました。

結果的にはどこよりも早くSPAと同じことをやっていた

尾崎: 御社事業の強みはモノ作りの仕組みだと思います。そこで、アパレルでモノ作りを始めた原点から教えて下さい。

江尻: 1984年頃、「ハニークラブ」というブランドを作りましたが、当時は他社に委託して生産してもらっていました。我が社が原宿界隈で売れてきた時、まだ15~20店舗しかなかったのが、2000~3000着という当時としてはすごい数の発注をしていました。そのため、他社なら5900円で卸しているものを、「ハニーズさんだったら3900円で良いですよ」と優遇されました。当時はまだ不動産価格も低く、日本国内でも低コストで作れましたからね。
 ところが、バブルが近くなってきて、我々が生産を頼んでいた会社も安く卸すのがバカバカしくなったようで、「おたくの注文を受けなくてもいくらでも売れるから、5900円で買ってくれ」というようなことを言い出しました。大いに危機感を覚えましたね。
 そこで、縫製工場を買って自分たちで作ってしまおうと考えたのです。20人くらいの工場だったのですが、とりあえず自分でモノづくりをしてみようと。でもド素人ですから、まず生地がどこに売っているのかさえ分からず、工場を買ってから勉強を始めたような状態でした。まず、自社商品の売り上げが5~10%くらいからスタートしました。

尾崎: 今はその比率が完全に逆転して、自社商品の割合が9割を超えていますよね。

江尻: ええ、当時は中国を使う必要もなく、全て国内生産でした。私の地元のいわきの縫製工場ではどんどん仕事が減っていたので、「ハニーズさんに仕事を貰える」ということで歓迎され、市内から少し離れたところを含めた8、9社にどんどん自社企画商品の生産を発注しました。自社企画をすることによって、どこでも売れる商品が作れるようになったのです。
 日曜日までの売れ筋を見て月曜日に発注すれば、次の土日までには商品を上げられました。また、多少リスクを負って、生地も買い揃えておきました。こうしたプロセスを見ると、我々は、どこよりも早くSPAをやっていたんですね。

 SPAとは “speciality store retailer of private label apparel”の略称ですが、「製造小売業」と訳されます。「独自のブランドをもち自社用専門店を持つアパレル販売業」の意味です。従来まで、小売店はメーカーが作ったものを売るしかありませんでしたが、SPAは店頭で顧客と接している強みを生かして、商品企画まで手掛けます。1986年に米GAPが自らをこう称したことが始まりと言われていますが、江尻さんが自社企画を始めた頃は、まだSPAという言葉すら無かったはずです。ところが、結果的にはSPAと同じことをやっていたということになります。

SPA導入の次の転機は生産拠点を中国に乗り換えたこと

江尻: その頃になると、生産委託先も段々とマージンを要求するようになってきました。我々は田舎で若い女の子にお小遣いで買える値段で売りたかったので、中間マージンをなるべく省こうとしたんです。その結果、自社で作ることになりました。

尾崎: 当時、小売はメーカーから多めに仕入れて売れ残りは返品するというのが一般的な商習慣でしたね。小売がリスクを取っていなかったから、マージンを削ることも難しかったと思います。その点、SPAは画期的ですが、まだ、小売りが自分で作るという発想は奇異に聞こえたでしょうね。

江尻: だから大変でした。パタンナーがいて、仕様書が無いと駄目だし、設計図がないと縫製工場は縫うこともできません。そんな基本的なことも分からない状態で、自社で作り始めたわけです。やむを得ないので、やりながら考えてそういう人員を揃えていきました。

尾崎: SPAはいちおうGAPが世界で初めてやったということになっていますけど、国内では御社が一番早かったんですか?

江尻: そうかもしれませんが、実質的なSPAは、長年オンワード、ワールド、イトキンなどが百貨店売り場で行っていました。そのうち、メーカーであるこれらの企業が直営店を出すようになりました。このようにアパレルメーカーが自社店舗を出すようになったケースと、ユニクロや我々のように小売り店舗がモノ作りに入ったケースと、現在のSPAは2種類あります。
 ただ、我が社もSPAを始めたといっても、それで大半を賄うには時間がかかりました。最初はSPA比率が5%から20%程度で、相変わらずメーカーからの従来どおりの仕入れもやっていました。企画要員、パタンナー、CGなどの人員をどんどん増やさないといけませんから、生産管理が結構大変なんです。

尾崎: 「やってみなければわからなかった」の典型ですね。

江尻: やりながら考えたということです。それで徐々にSPAに移行していきました。だいたいこれで体制が作れたかなと思ったら、次の転機が現われました。1997年くらいから中国でもまともな洋服が作れるようになってきたのです。人件費の水準が違うので、いずれ日本は中国に負けてしまうだろうと考え、それまでやってきた仕組みを全部捨てて、中国に乗り換えることに決めました。この判断がやはり一番大きかったですね。2001年のことです。

尾崎: スパッとした決断ですね!今では中国の人件費も高くなり、日本企業はASEAN諸国に工場シフトしていますが、過去10年間、生産拠点を当たり前のように国内から中国にシフトさせて来ました。しかし、2000年当時は、まだ1989年の天安門事件の記憶も薄れておらず、「中国に本格的に拠点を移して大丈夫か」という危惧が強かったことを覚えています。大企業に比べて体力で劣る御社レベルだと、その不安は大きかったと思います。中国にシフトしたプロセスを詳しくお聞きかせ下さい。

江尻: それまでも、Tシャツやジーパンなど簡単なものは中国で作ることはありました。しかし、女性の流行ものに必要な、良質な素材や付属品などは揃ってなかったんです。それが、1997~99年から中国でも揃い始めたんです。
 2001年に生産拠点を急に変えようと思ったのは、日本の生地は高すぎるので、中国の生地を買うようになったことがキッカケでした。日本の生地屋さんが中国でも生地を作っていて、そっちの方がはるかに安かったんです。ただ、中国の生地を輸入して、いわきで縫製するのは面倒だから、中国の生地を中国で縫製してもらって、それを買った方がもっと安くできるだろうと考えました。そういう時代が来ると直感しました。

 ハニーズが中国シフトを行った直前の1997年にアジア通貨危機が起きました。当時のアジア諸国通貨はヘッジファンドの空売りによって暴落し、タイ、韓国、インドネシアがIMF(国際通貨基金)の管理下に入るなど、各国は深刻な金融危機に陥りました。日本経済に大きな影響はありませんでしたが、アジアに生産拠点を開いた企業は損失を被りました。ただ、当時の中国では外貨取引が厳しく規制されており、中国進出企業はダメ―ジをあまり受けませんでした。ハニーズも大きな損害は回避できたようです。

商社を仲介せず、物流プロセスに至るまで独自のシステムを確立した

江尻: 我が社の場合、中国で大きなダメージはなかったです。大した事業規模でもなかったし、トントンでした。1991年から99年まで中国での生産は伊藤忠と進めていましたが、伊藤忠もアジア通貨危機で数千億円の損失を出して、かなり厳しくなったようです。
 そして、ある日突然、伊藤忠に、「取引が大きいので、おたくが潰れたらうちも大変だから保証金を入れて欲しい」と言われたんです。4億円くらいでしたね。こちらもお金がないので、もう商社は当てにならないということで、「自分でやろう」と決断しました。
 そういう経験の後、2001年から直接中国の工場に発注して、我々で全てのオペレーションをやってきました。業界大手でさえ、いまだに全部自分でやっているところは殆どないと思います。当社は自分で全て出来るのだから商社はいらなかったわけですね。マージンも10%くらい取られてしまいますし。

尾崎: アパレル業界大手は中国でかなり完成されたサプライチェーンを作っています。その大手でも、総て自前ではできていないというご指摘ですが、御社とどこが違うのですか?

江尻: 大手メーカーの大半は、金融面を総合商社に面倒を見てもらっています。なぜかというと、日本メーカーが発注する中国の工場というのはお金がないからです。生地代は中国ではみんな現金決済です。日本に商品を送らせて、代金は「毎月25日締め支払い」なんて言っていたら、中国の工場はどこも日本とは取引しないです。そこで、「御社の発注はうちが面倒見ます。中国側への支払いは建て替えておきますよ」ということで商社が間に入っているのです。

尾崎: 日本の商習慣は掛け売りで、商品配達後に請求書を送って、現金は1~2ヶ月後に支払われることが通常です。売り手はその間お金が貰えないので、どこからか借りなければなりません。結構高い金利が取れるので、商社はこの分野の金融業務を活発に手掛けています。

江尻: そういった仲介を我々は全部取り除いて、直接中国の工場にお金を払っているのです。銀行に信用状を出してお金を借り、前金ですべて工場に支払っています。商社が間に入れば、結構高い金利を取られますから、メーカーにとっては、エポックメーキングなやり方だと考えています。

尾崎: 間に商社を入れなで直接中国企業と取引をするということは、途中で相手側が潰れて商品が納入されない信用リスクを取ることになります。確かに、中間マージンの支払いは減りますが、普通はなかなか踏み切ることが出来ないことです。

江尻: 簡単には出来ませんよ。もし不良品が送られてきたとしても、関税もすでに払っており返品もできないので、焼却するしかないんです。中国で直接取引をすると、こういったリスクを負わなければならなりません。だから、ほとんどの企業は踏み切れませんが、我が社はそれをやったのです。

尾崎: これも大きな決断でしたね。商社に仲介に入ってもらうと、こちら側は金利負担を免れますが、工場との徹底的な価格交渉ができません。直接工場と取引をして、即現金で払うと言えば、相手も相当な値引きに応じるでしょうね。

江尻: 社内では、この取り組みにずいぶん反対されました。でも、商社は、「うちを入れれば不良品の面倒は全て見ます」と日本側に言い、不良品が出た時は中国の工場に「不良品を出したんだから値引きをしろ」とやっているわけです。陰で行われているので、商社の儲けの全体像はこちらから分かりません。
 不良品が出たら工場の責任ですから、我々が次の発注で値引きを求めれば相手も応じるわけです。それには、相当額の直接取引がなければなりません。我が社がある程度安定して取引していることは相手もわかっているし、韓国との工場誘致合戦もあって、そういう価格取り決めができたのです。もちろん不良品に関して面倒を見ることは当たり前だと先方にも納得して貰わなければなりません。

尾崎: 現在、業界で同じようなことをやっている企業はいますか?

江尻: おそらく、我々だけですね。それが物流費を劇的に下げ、差別化の要因になっています。日本に輸入されたコンテナの積み下ろしをして、日本の港で品物の区分けをするのは物凄く大変です。例えば、横浜港に揚がれば、まず検疫があり、そしてコンテナから大型トラックに積み替えます。中国からひとつ7、8万円の価格でコンテナを運んで来ますが、日本では大型トラックに積み替えるだけで同じくらいの値段がかかるんです。コンテナ内は他社分も含めて雑多な荷物が混じっていますから。
 ところが、我が社は全部中国で作っているので、コンテナ単位で全部ハニーズの商品が積まれています。そうなると、店舗ごとの商品区分けを中国でセッティング出来ます。コンテナ単位でまとめて関税を払って、佐川急便の送り状をコンテナに貼れば、日本の港から各物流センターに配送できます。日本での積み替え作業を簡素化したおかげで、物流費が飛躍的に下がりました。だいたいアパレル業界の物流費比率は売上の4%くらいですが、我が社は0.8%です。

尾崎: 中国と日本では品物の区分けの人件費がかなり違います。同じことを日本に着いて行うのではなく、中国内でやった方がかなりコストを下げることができるわけですね。

江尻: 我々のやり方だと、日本の港で必要なコストは、佐川急便に払うコンテナ積み替えの人件費だけになります。

 高品質の商品を低コストで提供する大まかな画は誰でも描くことができますが、それを実現するには、緻密なサプライチェーンを作り上げなければなりません。そこでキーとなるのは、工場の不良品比率が低いこと、物流コストが低いこと、工場から店頭に製品が届くまでの期間が短いことなどです。ただ、緻密なサプライチェーンを作りたくても多くの企業がそれを実行できません。なぜなら、サプライチェーンに中国で実施するプロセスが多いためです。日本企業にとって、中国での作業はいまだに管理が難しい厄介なものです。

自社でサプライチェーンの全ての機能を備える企業は殆どない

江尻: 我々はプロセスを全部裸にして「どうなっているんだ」ということを徹底的に調べました。自社でサプライチェーン全ての機能を備えている企業は、大手の一部と当社を除けば、殆どないわけです。自分で発注できませんから、足りないところはメーカーや商社のお世話にならざるを得ません。弱みを持っていたら駄目なんです。

尾崎: 御社の場合、なにが画期的だったかと言うと、地味な生産、物流プロセスを徹底的に効率化したことですね。中国の工場との直接取引を生かした条件交渉、不良品に合わせた値引き交渉、港での品物の区分けを中国で終わらせることの集積です。また、実行に移すのは江尻さんお得意のトライ・アンド・エラーが役に立ったと思います。

江尻: 直接取引により、効率化の機会が増えます。日本の物流会社であるアストラインの物流センターが青島と上海にあります。そこで、しまむらの荷物と当社の荷物をそれぞれ日本向けに出荷してもらっていますが、シェアしているので、更にコストが安くなります。

尾崎: 日本国内の物流はかなり効率化されていますけど、中国で効率化を進めようと思えば、他社に任せてもうまく進まず、直接取引して自分で方法論を確立するしかないということが、よく分かりました。

江尻: そうです。売上高営業利益率7~8%を目指す小売業が、4%もの物流費を取られていては致命的になりかねません。たまたま、アストラインという物流会社が、そういう風にウチはやるからと名乗りをあげてくれたのがラッキーでした。

尾崎: 普通の物流会社は、こちらが注文したことはやってくれますが、能動的に難しいことに取り組んでくれるパートナー企業はあまりいないのでしょうね。

江尻: 最初はSPA的な発想から当社は中国に進出したのですが、そこから派生して、物流でも何でもとことん中間マージンを無くしたんです。我が社の場合、70%の商品は直接店舗に配送し、30%の商品はいわきの物流センターにストックします。そこから、北海道から沖縄まで追加発注分を発送して、無駄をなくすよう努めています。

 SPAという言葉がない時からSPAを国内で始め、次にそのシステムを大胆に捨てて、江尻さんは中国に進出しました。また、いざ中国に出ると、SPAだけでなく物流を含めたトータルのシステム改善が待っていました。このプロセス改善には終わりがないという印象です。次回は中国ビジネスの難しさと今後のアジア市場での展望についてお聞きします。

江尻義久(えじりよしひさ)/1946年福島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、家業のエジリ帽子店へ。1978年エジリを設立し、1986年ハニーズに社名変更。2005年東証一部上場。

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