「アイディアを45日後に商品化する」アパレル会社:ゲスト ハニーズ江尻義久社長(1)

投稿日2013/10/09

アイディアを45日後に商品化する」アパレル会社:ゲスト ハニーズ江尻義久社長(1

 株式会社「ハニーズ」はカジュアル婦人服の企画・製造・販売を手掛け、福島県いわき市に本社を構えています。1978年創業ですから新興企業とは言えませんが、成熟したアパレル業界にいながら過去10年間の伸びが素晴らしい会社です。10年間で売上は4倍、店舗数は7.2倍になっています。転機になったのは、2001年の本格的な中国進出、2003年のジャスダック上場、2005年の東証一部上場です。アパレル業界の常識の逆を行く戦略、ライバルより早く実行したSPA導入、中国進出などに果敢に取り組んできたことが同社の特徴です。2013年7月上旬、創業者社長である江尻義久さんとお会いしました。

地方で一番売れる要因は「値段が手ごろ」であること

尾崎: ホームページや色々な資料を拝見させて頂きましたが、非常に論理的なビジネスモデルを作られていますね。しかし、ビジネスの場合、最初から論理的に考えても思うように行かない場合も多いので、ずいぶん試行錯誤をされたと思います。
 一般のアパレルメーカーにとっては、「流行を先取りした商品企画」を行い、品数を少なくして一品あたりの生産数を増やす「小品種多ロット生産」によって製造単価を下げることが常識です。ただ、御社は業界常識の逆で、「流行最中の商品企画」「多品種小ロット生産」という方法を取っておられます。今のような状況に至った経緯をお聞かせください。

江尻: 私がこの会社を始めた時、まるっきりアパレルのド素人でした。家業は帽子専門店で小さな商いをやっていたのですが、私は家業を継ぐ気などなかったんです。兄は勤め人で、姉は嫁いでしまったので、最初は両親だけでやって行こうという話でした。
 ところが、私が大学を卒業する頃、近くに大きなショッピングセンターが出来たんです。実家もそこに店を出したいと考え、ついては跡取りがいなくてはダメだということになり、私が後を継ぐことになりました。
 小さな店だったので、私があまり頑張る必要もなく、片足を突っ込んだ程度の仕事でした。ところが、30歳過ぎて結婚して子供が二人できてからは、何か新しいビジネスをスタートさせようという気持ちが強くなりました。色々と考えた結果、帽子と同じ業界の婦人服をやろうと思ったのです。そして、流行に敏感な若い女性の服だったら、あまり方向性が固定されないだろうという理由で、若い女性にターゲットを絞りました。当時、高校生に人気があった東京のハニーハウスというアパレルメーカーが、フランチャイズ的に我々の面倒を見てくれるという話だったので、そこの商品100%販売で始めました。いかにも素人的なやり方です。

尾崎: 御社が最初のお店を始められたのは1978年頃ですから、DCブランド(デザイナーズキャラクターブランド)が流行り始めた頃ですね。

江尻: 丁度その頃です。原宿界隈のマンションのあちこちで感度の良いブランドが立ち上がっていました。ただ、そういった商品は田舎で売るには値段が高すぎました。高校生が小遣いでは買えない値段ですからね。取り敢えず半年くらいやってみましたが、なかなか売れませんでした。
 そこで、その感性を損なわないで、もう少し安い商品がないかといろいろ探して回りました。その結果「ファッション性があって値段が安ければ売れる!」と実感し、ハニーハウスのブランドと並行して、ファッション性と経済性を備えた商品を集め始めたのです。すると、途端に売れ出して、いわき市の3、4店舗を手始めに、福島県内、仙台、郡山、宇都宮、水戸に店を広げて行きました。

尾崎: 流行に合わせた服を作りたいというのは全てのアパレルメーカーが思っていることです。業界内の競争は激しく、非常に多くのメーカーが現れては消えて行くの繰り返しですが、御社は35年間も事業を続けて来られました。これは凄いことです。どういう戦略で攻めたのですか?

江尻: 「自分達はこうだ」という固定的なイメージを持たなかったことが重要だと思います。東京の場合、専門店として一つのイメージを持つと、その特徴にグッと突っ込んで行った方が良いですよね。でも、あまりにも一つのイメージが強すぎると、飽きられて忘れ去られてしまいがちです。ですから、はっきりとしたポリシーや商品コンセプトを持たずに、世の中の動きやファッションのトレンドにいち早く対応すれば生き残れると考えました。

尾崎: 普通のメーカーはブランド色を強く出して、それを全面的に展開していきます。

江尻: そうしないと消費者に相手にされませんからね。

尾崎: 確かにイメージを明確に出すと、消費者が飽きたら離れて行くというリスクがあります。ただ、そのリスクを取らないと、そもそも売れないというのが業界常識のはずです。世の中の動きやファッショントレンドに合わせるのは一見合理的な戦略ですが、同時に自社の色がなくなり、消費者が飽きる前に、そもそも気づいて貰えないということになりかねませんか?

江尻: 我々は地方にいるから、それが出来たんだと思います。東京は物凄く競争が激しいので、色をはっきり出すことがレディースファッションの常識です。ところが、地方ではそんなことはなくて、「値段が手ごろ」というのが一番の売れる要因です。その次の条件として流行に合っていれば、だいたい若い女性は買ってくれます。

尾崎: 東京で流行っているブランドだと値段は高いので、それよりは安くて感性が似ている商品であれば、消費者は満足するということですね。

江尻: そうです。東京発のブランドの商売は、札幌や仙台など六大都市では成り立ちますが、それ以外の県庁所在地だとなかなか厳しい。県内2番目の都市だともう売れないんです。我々も値段が高い商品を地元で売ることが出来ませんでしたが、高いプライスは地方ではネックになるんです。ファッション業界では、地方から見た目と東京から見た目は違います。だから、当社、しまむら、ユニクロは皆、地方から出ているので、値段にはこだわっていると思います。

 アパレル業界では、ユニクロを運営するファーストリテイリングが売上1兆円に迫っておりダントツの存在ですが、500億円から2,000億円の間に15社がひしめき、激烈な競争を展開しています。一時的に売上が増えても持続するのは困難で、業界再編も激しいことが特徴です。アパレルは流行という「水もの」に左右されるため、先を予測することは困難です。したがって、商品構成は各社独自のものを作らないと激しい競争に勝ち残ることができません。ユニクロとハニーズを比較した場合も、両社は商品や店の作りがかなり違います。

「あっちもこっちも」手を出して、売り上げを増やす

江尻: 元々若い女性が我が社のターゲットですから、業務範囲が狭い。ユニクロは老若男女オールマイティの品揃えですから、必然的に売り上げも大きい。私どもが一番強いのは13、4歳の中学生から20代後半までの女性です。しかし、それだけでは、なかなか売り上げが伸びないので、30代から40代のアラフォー世代もターゲットに入れています。創業時に買ってくださった方が今40代になられていますからね。

尾崎: 御社のブランドをカテゴリーごとに見ますと、大人カジュアルの「シネマクラブ」が増えて、シーズンベーシックの「コンフォートベーシック」とヤングカジュアルの「コルザ」が若干減少しています。これは、固定ファンが年齢を重ねたことに合わせて商品ラインアップを意識的に変えているためですか?

江尻: そうです。また、リーマンショック後に売り上げが低迷したので、通勤にもカジュアルにも使える「グラシア」というブランドを立ち上げました。この成長率が一番高いですね。「シネマクラブ」も決算では伸びていて、「コンフォートベーシック」の分を食っています。少子化の影響で、我が社が元々強い、原宿系や渋谷系の若い女性向けの商品売り上げが落ちているため、以前の購買層向けの「グラシア」が伸びているのです。

尾崎: 若い女性向けのファッションが減っているのは流行の影響もあると思いますが、そもそもこの層の人数が減っている影響が大きいということですか?

江尻: 大きいですね。この頃は「109系」というファッションが伸びており、これも我々が苦戦している理由です。しかし、今109系だけでやっているブランドは流行に乗って一気に売れていますけど、波が過ぎると売れなくなるはずです。我が社は色んなものを組み合わせながら、その時々のファッションに合わせていきますし、年代層も30代から40代も含めて柔軟に対応して行きます。そうじゃないとなかなか生き残れないですから。

尾崎: 「柔軟に対応する」という戦略は事業を継続されて、そこから出た智恵によって作られたのだと思いますが、どのようなことがキッカケになりましたか?

江尻: 我々が今の戦略に移行するキッカケとなったのは、バブルの崩壊でした。

尾崎: 商品カテゴリーに限らず、バブル崩壊はどうしようもない大きな時代の流れでしたね。

江尻: その頃は今のように柔軟に色々と販売していたわけでなく、原宿系の商品が中心でした。売上が落ちたので、当時、流行り始めた109のギャル系ファッションも気が進まなくてもやって、全体を補ったという感じでした。バブルが崩壊して市場のパイがグンと減ったため、あっちもこっちもやって売り上げを増やさなきゃ駄目だとなったのが、我々の戦略のスタートになりました。

尾崎: バブル崩壊によって小売業界は打撃を受けましたが、苦し紛れに「あっちもこっちも」手を出したことが、御社の転機になったんですか。あっちもこっちもでは経営者は居心地が悪いので、緊急避難的にやりますが、御社は継続されているところが面白いですね。

江尻: そうなんです。さらに、我々の主なターゲットだった世代が年をとってアラフォーになった頃だったので、「シネマクラブ」という主婦もヤングミセスも買えるような商品もやろうということになったのです。同時に、低価格の波が押し寄せてきました。我々が普通3900円くらいで売っていた商品が、1ドル80円の円高のため、中国なら1900円くらいで作れちゃうんです。今までターゲットとしていた購買層の人数が減り、商品単価は下がるので、ある程度幅広くやっていかないと田舎ではダメだと思いました。
 
 アパレルは元々顧客の嗜好変化が激しい市場ですが、バブル崩壊や人口構成の変化といった市場環境の激変が起きたことが分かります。ただ、予測困難といっても、メーカーは常に先を見据えて商品開発を行わなければなりません。ハニーズの商品開発にはどのような特徴があるのか、先を予測するうえでのリスクはどのような方法で低減されているのかについてお聞きしました。
45日後に何が売れるのかだけを考える

江尻: 我が社のビジネスの鉄則ですが、あまり先を読まない方が良いと思っています。せいぜい半歩先を読むくらいで、今のシーズンでしたら45日後に何が売れるのかだけを考えています。
 パリコレやニューヨークコレクションなどから情報を取るなど、あくまでも大きなトレンドは捉えていますが、なるべく動かないようにしています。流行に合わせた商品を作れば当たるケースもありますが、外れることも少なくありません。私どもは今830店舗くらいあるので、外れたら打撃が大きいんです。何年か前に私が言ったことですが、「競馬で普通に発走前に馬券を買うのではなく、馬が第4コーナーを回って最後の直線に差しかかる辺りで買う方法を考える」ということです。だから、先走って買う必要はない。アパレルを30年やっていると分かるのは、業界の皆が「確かに当たる!」「これだ!」と言って立ち上げてみたら、意外と失敗するケースが多いということです。

尾崎: 45日後を見据えるというのが第4コーナーを回って馬券を買うことだと思いますが、そのぐらいの期間ならば、だいたい外れないものですか?

江尻: いや、それでも外れることはあります。ただ、期間が短いと勝つ確率は圧倒的に高くなります。我々の場合は業界内で最短の期間で作っています。中国の工場で生産を開始して、45日後にはもう店に入っているわけですから。まず生地を織って、染色して、裁断して、それと同時に付属品も作りますから、これ以上短い期間で作る方法はないです。
 いろいろと失敗した経験の中で、企画から生産までの期間を短くすることが一番成功の確率が高くなる方法だと知り、どれだけ短くできるかということを毎回模索しています。
 今日も、いわきから25人ほど企画の女性が東京に来ており、原宿や渋谷をウロウロして、定点観察しています。月曜日にブランド毎の売れ筋情報を集め、それをもとに火曜日に東京に出てきて観察し、水木で企画会議を行い、金曜日には中国へ発注します。これは日本で最速だと思います。仕様書を書く人間や、CGの柄出しの人間など全部社内にいるから出来ることです。

尾崎: ユニクロの商品開発だともう少し時間がかかっているのでしょうか?アパレル業界の常識の逆である「多品種小ロット生産」を御社は実行されているからこそ、企画から生産までの期間を短くできるのでしょうね。一点あたり20万着、30万着といった大量のロットを作っていると、それだけ工場での生産に時間がかかって当然のはずです。

江尻: ただ我々も規模が大きくなったので、今はだいたい一点2万着くらい作ります。中国の工場サイズで言うと、1万5千着前後が最も作りやすいロットです。普通の日本のアパレルメーカーはもっと少なくて、2千着から多くても6千着ほどです。我が社のロットがちょうど良いくらいだと思います。

尾崎: これ以上大きくなると時間がかかり、御社の生命線のスピードが損なわれるんでしょうね。

江尻: スタートした頃は、従業員300~400人の工場で縫っていたんです。ところが急に店舗数が増えてから、生産に時間がかかり始めました。これはまずいと、3、4年前に生産キャパシティの大きい工場にシフトしたのです。業界大手が使っていたのと同じ工場でした。そのおかげで品質が改善され、生産スピードも速くなり、安定してきました。以前の小さな工場の場合は、50~60日ほど生産にかかっていましたからね。まあ、色々とやってみて、おかしい、まずいと思ったら、まずその改善をずっと続けてきました。

 アパレルは流行を先取りした商品開発が大切だと一般に思われていますが、「流行」という不確かなものに依存した経営はリスクが大きい。そこで、江尻さんは「馬が第四コーナーを回ったところで馬券を買う」方法を編み出しました。その戦略の命であるスピードは細かい生産オペレーション改善の積み重ねから生まれることが分かりました。次回は、アパレル販売からスタートした江尻さんがいかにモノ作りに参入したか、そしてどのように中国ビジネスを展開してきたかをお聞きします。

江尻義久(えじりよしひさ)/1946年福島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、家業のエジリ帽子店へ。1978年エジリを設立し、1986年ハニーズに社名変更。2005年東証一部上場。

Copyright©2013 Hiroyuki Ozaki. All Rights Reserved.


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