「俺は絶対にこれを続ける!」という揺るぎない信念を社員に見せ続けてきた/ネクスト 井上高志社長(1)
不動産はユーザー側から見ると、伝統的にわかりにくい市場です。賃貸であれ売買であれ、物件の市場価値がよく分からず、漠然とした不安を抱えながらの取引が以前は当たり前でした。ところが、今ではインターネットの不動産サイトが充実して、価格や物件情報が透明になり、まったく様変わりしました。不動産市場を変貌させ、現在、日本最大級のサイトである「HOME’S」を運営しているのが株式会社ネクストです。2013年7月、同社の創業社長である井上高志さんと品川の本社でお会いしました。
井上さんは大学を卒業してリクルートグループに入社した後、数年で退社し、ネクストを立ち上げました。「不動産業界の仕組みを変えたい」というのが起業時の彼の信念でした。
リクルートは退職や転職組にやさしい会社
尾崎:井上さんがリクルートコスモスに入社したのが1991年ですね。リクルート事件が1988年に起き、当時は不動産バブルが崩壊しかけていたので、会社に対する逆風が強かったのではないでしょうか。この会社に勤めて、どのようなプラス面を得る事ができましたか?
井上:リクルートコスモスには3ヶ月しかおらず、すぐにリクルート本体に移ったので、何か得る前に異動になりました。ただ、起業のきっかけをそこで得る事ができたことができました。マンションのモデルルームで販売員をやった時、家を初めて買いたいという若いご夫婦が、入社1ヶ月半にしかならない私が担当していた物件を気に入って下さいました。ですが、その物件ではローン審査が通らず、四方八方走り回ってそのお客さんのために物件を探したところ、購入が決まった時すごく嬉しそうな顔で「ありがとう」と言っていただきました。また、このような笑顔を見たいなと思ったのが、不動産分野で起業したキッカケです。
尾崎:そのお客さんにピッタリの物件が自社になく、他社物件を紹介して、上司から大目玉を食らったそうですね。
井上:そうです(笑)。私の仕事の原点で、今でもよく覚えています。
尾崎:リクルートには独立・起業する社員が多いですよね。元々社内にそういう雰囲気があるのですか?
井上:新卒で採用される時点から起業家志望が多いですね。そういう人を好んで採用する企業文化があります。
尾崎:転職や独立した社員に優しく接する企業とそうでない企業がありますが、リクルートは抱擁力を持って接してくれる会社ですか?
井上:そう思います。辞めた後も「卒業生」という位置づけで、現役の人との交流が続きます。リクルートのロゴマークでもあった「かもめ」という社内報がありますが、希望すればOBにも送ってくれます。辞めた社員がクライアントになるかもしれないし、縁を残していこうというスタンスの企業ですね。
尾崎:米マッキンゼーや米IBMもそういう雰囲気があるらしいですね。両社にも独立・転職する社員が少なくありません。私が勤めていた野村證券も転職する人が多いですが、こちらは辞めた社員に冷たかったですね。同業他社に移る社員が多いので甘い顔はできないかもしれませんが、辞めた人に優しくすれば古巣への郷愁が生まれるし、結局自社にとってメリットが大きいと思います。リクルート在籍中は完全に起業準備期間と位置付けていましたか?
井上:そうですね。入社面接の際に「入って5年以内に独立します」と明言して、それでも「こいつは面白い」と言って採用していただきました。こういう会社に入りたいと思っていました。
尾崎:社内にそういう人は結構いるんですか?
井上:割と多いですね。創業者の江副浩正さんが、「サラリーマンを30年続ければ良いやというタイプは大した仕事をしない」というポリシーの人でしたから。それより「僕は起業します」と公言するタイプの方が、5年から10年で圧倒的に大きな仕事をすると、江副さんは信じられていたようです。普通の会社の入社試験で、「5年後独立します」などと言えば、「なにを生意気な」とか、「そんな奴は採用できない」と思われますよね。
尾崎:独立志向が強い社員を評価する人がいても、「そんな社員を採って会社のためになるのか」という反対意見が内部で必ず出るでしょうね。江副さんが経営から手を引かれた後、その雰囲気は変わったんですか?
井上:今でもその雰囲気は残っていると思います。江副さんがリクルートの経営から外れられたのは1991年頃ですが、混乱が逆に創業の原点を見直すきかっけとなって、社内にベンチャー的な雰囲気が強まったと思います。
尾崎:井上さんがリクルートをお辞めになったのは1995年で、すぐに創業されました。創業直後に色々な混乱があったと思いますが、どのような状況でしたか?
井上:他の会社も同様かもしれませんが、我々の場合も創業メンバーの仲間割れがありました。私とNo.2の役員との間で経営方針の違いによる衝突があったんです。赤字でも当時の「ドットコムバブル」に乗っかって早く上場しようという考えと、価値ある商品を提供して顧客に喜ばれる「理念型経営」をしようという考えに、はっきり分かれてしまいました。
尾崎:井上さんはもちろん後者の考え方ですよね?
井上:もちろんです。そして彼との間の溝が深まって、袂を分かちました。これで良い教訓になったのは、スタート時に表面的には協力し合っても、根っこの考えが一緒かどうか確認するべきだという点です。表面的には仲のいいふりをして2~3年の苦しい時期を一緒に乗り切りましたが、会社が軌道に乗るとお互い自己主張が増えて、考えの違いが表面化したのです。
「こうするべきだった」と痛感したのは、会社を作るときには、まず経営理念を明確に定義すべきということです。我々の失敗は、単なる金儲けや自己成長の目的でスタートすると、いずれ衝突して混乱するという典型例でした。そこから、理念型経営にシフトして現在に至っています。
創業して、井上さんは何度も経営的なピンチに直面しました。2001年頃、加盟店数が伸び悩むなかで、リクルートなど後発の大手が積極的なプロモーションを重ねて、大きな危機感を覚えたそうです。
「店舗を倍増出来なかったら社長をやめる!」と宣言して
尾崎:2002年、井上さんは「加盟店倍増計画」というものを打ち出されました。これは今よりかなり加盟店が少なかった時代だと思いますが。
井上:倍増計画は加盟店の数が伸び悩んだ頃に打ちだしました。5年間の累計が1,000店舗でしたが、年間200店舗しか純増できませんでした。そこに後発の同業他社が入って来たのです。同じ時期にリクルートは約2,000件の加盟店を獲得して、我々は完全に押し負けていました。伸び率を比較して負け犬根性が定着するとまずいので、「今の1,000店舗を倍増できなかったら社長をやめる」と宣言しました。背水の陣で営業本部長も兼任し、結果的に2.3倍にして社長を辞めずに済みました(笑)。それまでの加盟店への営業方法を、アウトバウンド(営業マンが能動的に顧客に働きかける方法)主体からインバウンド(顧客からの問い合わせを待つ受け身の方法)にガラっと変えて行ったことが成功のポイントです。その後、同じペースで増やし続けて、1万店舗にまで近づいて行ったのです。
尾崎:インバウンドの営業は一定の条件が揃っていないと難しいですね。サービスがあまり普及していない場合はアウトバウンドで積極的に働きかけないと、通常は効果が見込めません。既にサービスが認知され、リピーターの注文を受ける場合はインバウンドのコールセンターが有効です。当時の御社はアウトバウンドが有効なケースだと思いますが、インバウンドは効果的だったんですか?
井上:まさに、インバウンドに変えたことが効果的でした。今、同じ事をしても効果は見込めないと思いますが、当時は特殊な状況でした。その頃の不動産業界は「何かネットビジネスをやらなくてはならない」と漠然と思っていた人が多かったんです。したがって、きちっと情報提供すれば、加盟店から確実に反応が来ました。全国で業者さんを集めて説明会を開催し、パンフレットの1ページ目から丁寧に説明し、「この場で契約して頂いたら初期費用をサービスします」という営業をしたところ、実に効果的でした。インバウンドによる契約率は約50%に上りました。
尾崎:それはすごいですね!業態やタイミングにもよりますが、コールセンターのインバウンドによる成約率は数%からせいぜい10数%だと思います。
井上:しかも入会までのお客さんとの接触回数が平均1.5回でしたから、ほぼ即決ということでした。
尾崎:そこまで効果的な数字はあまり聞いたことがないです。この市場に熱心でなかったリクルートが当時参入を決意したわけですから、市場が変動していたんでしょうね。
井上:2003年頃、「インターネットを使わなければ遅れる」という強迫観念が業界に広がっていました。また、我々は同業他社にとって「価格破壊者」でした。他社が料金10万円のところを当社は1.5万円で提供していましたから。したがって、お客さんがサービスの内容を理解さえしてくれれば、それほどスキルがない営業マンでも契約を取ることができたのです。リクルートのサービスパッケージには最高100万円というのもありましたが、我々は「ロープライス戦略」を貫きました。リクルートとガチンコやっても勝てるわけがないので、その点は徹底しました。
苦しい場面を乗り越えながら、井上さんは掲載物件数を増やして行きましたが、同じインターネットを使ったイーコマースでも、不動産は他の消費財と異なる特殊な要因があったようです。
「SEO的」な方法を導入し、アクセスが3~4倍に増加した
尾崎:ウェブビジネスでロングテール戦略を行うと、掲載している商品数と売り上げに相関関係があるという指摘を複数のイーコマース企業経営者がしていますが、一般的な消費材と不動産とでは商品特性が違いますか?
井上:両者は違いますね。住む地域が大いに関係します。いくらロングテールと言っても、たとえば東京の人を対象にして島根の物件を見せたところで誰も借りないですからね。これに対して、ロングテールで販売している消費財は地域特性がなく、世界中どこでも売れますから。
尾崎:自動車のような大型商材も移動できますからね。場所を動かせないのは不動産ぐらいですから、地域特性が強く出るのは納得できます。本を売る場合は、東京か島根かといった地域とは無関係ですから。ところで、御社がウェブ上で不動産情報を出し始めた時、SEOという言葉もなかったと思います。どういうきっかけで「SEO的」な方法を導入したんですか?
井上:アルバイトにマニアックな人間がいたのです。彼らが「どうやら検索サイトに緻密に対応すると上位に掲載される仕組みになっている」と気付いてサイトをそれに合わせたところ、2003年から04年にかけて、アクセスが3~4倍に増加しました。これは大きかったですね。
尾崎:SEOという言葉はなかったが、論理的に考えてこうするべきという結論に至ったわけですね。SEOという言葉が流行り始めて取り組んだ企業は多数いましたが、それでは大きな効果は望めず、同業他社と本当の差別化はできなかったと思います。当時、他社はせいぜいYahoo!にリンクを貼るくらいでしたからね。
井上:そうです。ヤフーに5万円払ってリンクを貼る程度でした。
現在、「HOME`S」の掲載物件は400万件を越えており、日本全体の空き家・空き室に相当する500万件に迫っています。創業の理念である「不動産の情報インフラを作る」ことが実現されつつありますが、同社の規模が大きくなる過程で、大きな困難が待ち受けていたようです。その困難をどのように克服したのか次回にお聞きしたいと思います。
井上高志(いのうえたかし)/1968年神奈川県生まれ。青山学院大学経済学部卒業後、リクルートグループに入社。1997年ネクスト設立。2006年東証マザーズ上場、2010年3月東証第一部に市場変更。2012年からアジア各国でもビジネス展開。
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