リスクを取らない経営は成功しません: ゲスト/らでぃっしゅぼーや 緒方大助会長(53)その1
5月下旬、らでぃっしゅぼーや株式会社の緒方大助会長と東京都新宿区の本社ビルでお会いしました。同社が有機・低農薬野菜の宅配事業を始めて25年。野菜の流通システムを変革してきました。ただ、設立後10年以上はビッグビジネスに脱皮できる組織ではなかったようです。転機となったのは、青汁で有名なキューサイ株式会社による同社の買収でした。キューサイ側の買収責任者だったのが緒方さんです。
「統一した目的」すなわち企業理念を説く
尾崎: 緒方さんが買収査定のため、らでぃっしゅぼーや(以下、らでぃっしゅ)に乗り込んだ経緯について聞かせてください。
緒方: らでぃっしゅ側から最初にアクセスがあったのは1999年の後半でした。そして、11月下旬から1ヶ月ちょっとデューデリジェンス(買収対象企業の資産や業務の詳細を調べること)をやって、売買契約が整ったのが2000年の1月18日です。その翌日、臨時株主総会を開いて社長に就任しました。
尾崎: キューサイが株を買い取った、元々の株主は誰なのですか?
緒方: 高見裕一さんという、らでぃっしゅの創業者で、100%個人オーナーの方です。高見氏は、元々、市民運動家で関西リサイクル運動市民の会、東京の日本リサイクル運動市民の会を立ち上げた方です。今で言う環境NPOですね。
その当時、有機農産物は生産者に直接分けて貰うのが一般的な流通スタイルでした。高見氏はで一緒になった有機農業運動家と一緒の話で盛り上がり、「それじゃいかんだろう」と、野菜の個別宅配を始めたのが、らでぃっしゅのスタートです。彼は元々市民運動家なので、政治の世界に興味があり、2001年の参議院選に出馬するため、らでぃっしゅの株式売却を希望されていました。
尾崎: 買収時に組織としてある程度出来上がっていたようですが、環境NPOの人たちは企業が入って金儲けすることを嫌いますよね。その点で苦労はありませんでしたか?
緒方: 私の持論は、NPOにせよ企業にせよ、組織が単なる集団と違うのは、「統一した目的」を持っているか否かです。そこで、らでぃっしゅの方達に、「あなた達はどのような共通の目的を持っているんですか?」と聞くと、「地球環境の保全に貢献したい」といった返答が来ました。彼らの答えを紐解くと、キーワードとして「サステナビリティ」(持続可能性)が出てきたんです。要するに、持続可能な社会を築くために我々は集まっているんだと。
そこで、企業の儲けは企業理念を達成するための手段に過ぎないことを繰り返し説明しました。企業理念がNPOの元々の理念と合致していれば良いわけですからね。
尾崎: 環境NPOには企業を疑ってかかっている人が多い傾向があります。「企業の金儲け=悪」という考えの人の中で、納得してもらうのに時間がかかったのではないですか?
緒方: 基本はお酒を飲んで、キーマンを見つけて、その人を味方にしていきました。元来、らでぃっしゅを運営していたのはNPOではなく、NPOが母体となった株式会社でしたから、それほど時間はかかりませんでした。興味深いことは、NPOなのか会社なのか分からない中途半端な状態を嫌う人が沢山いたことです。
例えば、生産者は野菜を売ることが一番の喜びになります。それなのに、「我々は日本を良くする仲間だ」といったセリフで、売れ行きが悪くてもごまかされると、不満を感じます。この点はハッキリさせて良かったと思います、
尾崎: つまり、らでぃっしゅは、時と場合に応じてNPOと企業の顔を使い分けていたわけですね。とすると、いろんな矛盾が出てくるから、株式会社として一本化した方がすっきりするでしょうね。
緒方: もちろん、NPO側に一本化したい人もいたわけですから、不満がゼロになったわけではありません。とはいえ、株式会社としてやろうと方向性を明確にしたことはプラスでした。
尾崎: 野菜生産者の意見はどうでしたか?
緒方: 元々JAとの取引は少なく、自分で販路を拡大している生産者ばかりでしたから、ほとんどの方が私の考えに賛同してくれました。有機野菜販売に誇りを持っても、「有機野菜でしっかり稼ぐ」とまでは言えなかったようです。だから、生産者は私の話に乗ってくれました。
尾崎: 生産者がそうだと社員も変わるでしょうね。
緒方: その通りです。生産者の賛同は社員にとっても説得力が増しました。いずれにせよ、組織的にはスッキリしたと思います。
キューサイに買収された後、緒方さんは5~6年でマネジメントバイアウト(MBO、買収先の経営陣が親会社から株を買って独立すること)を行いました。大事な新規事業ですから、普通、親会社は早期の独立を認めません。MBOによる緒方さんチームの独立は極めて稀なケースだと言えます。
なぜMBOを順調に実現できたのか
尾崎: キューサイ傘下に入って短期間でMBOを行いましたね。キューサイは納得してくれましたか?
緒方: 実は買収時から、いずれ独立するということでキューサイの長谷川常雄社長(当時)とは合意していました。私が渡されていたミッションは「らでぃっしゅを株式公開(IPO)すること」だったのです。しかし、親会社のキューサイも上場していますから、結局、親子上場(親会社、子会社とも上場すること)になってしまいます。
尾崎: 親子上場は投資家にとって分かりにくいので、親会社のみを上場させるべきというのが証券取引所の基本的な考え方です。親子上場の審査は厳しいものがあります。
緒方: そうです。だから、上場前の資本政策で、キューサイ保有のらでぃっしゅ株は相当数手放さなければならないのは分かっていました。したがって、関連会社であっても、親子関係が無くなるのは既定路線でした。ところが、IPOよりも先にMBOを行ったのは、内部事情が関連していて、「IPOするのには予定より時間がかかりそうだ」と思いました。
尾崎: この時期はライブドア事件の後で、新興市場が暴落して、IPO市場が開店休業でしたからね。
緒方: それに加え、上場のための内部システム改善指摘事項が、監査法人のトーマツからキングファイル一冊分くらい来たのが早期IPOを諦めた決定的な要因でした。当時、月末締めから月次決算が出るのに25日もかかっており、同じ会社なのに基幹システムが3系統走っているとか、かなり非効率な状態でした。上場できるような体制が整っていなかったので、5年でIPOする当初目標が難しいことが分かりました。そこで、IPOを待たずにらでぃっしゅ株を売却しませんかとキューサイに持ちかけ、双方で協議した上で、ジャフコにスポンサーについていただき独立したのです。MBOは順調に進みました。
リスクを取っていない経営者は信用されない
尾崎: 例えば、ソフトバンクは、投資先を子会社にして上場させるのが企業目的のような会社ですが、そういうことには慣れてない会社が多いです。親会社から投資先に派遣されて、そこの社長をやれと言われても、何となく立場が中途半端で、高級事業部長といった感じになってしまいます。富士通などが一時、社内ベンチャーに熱心に取り組んでいましたが、総じて上手く行きませんでした。親会社に籍を残して出向するため、「そのうち親会社に戻るんだろう」と周囲は見てしまいます。緒方さんも似た立場でしたが、社内ベンチャーはどうすれば上手く行くと思いますか?
緒方: 社内ベンチャーの社長はちゃんと独立した経営者のつもりでやることがポイントです。例えば、親会社から社内ベンチャーに給料が出ていると、ベンチャー企業経営者といっても、何のリスクも取ってないことになります。リスクを取っていない経営者は、失敗はしないかもしれませんけど、成功もしません。
まだキューサイの子会社だったときに、ある投資家から、「上場を目指しているとのことですが、緒方社長はらでぃっしゅの株式をどの程度持っているんですか?」と聞かれました。「いや、持っていないです」と返答したら、「投資家、特に海外の投資家は自社のリスクを取っていないサラリーマン社長の話など、まともに聞きませんよ」と言われたんです。「社長が個人的に、目に見える形でリスクを取ることが重要」とも言われました。この経験がMBOのきっかけになりました。
尾崎: ソフトバンクの場合、子会社の社長がリスクを取っていても、孫正義さんのコントロールがきつく、子会社が育たないケースがあります。キューサイの長谷川前社長は、その問題を理解されていたということですね。
緒方: 基本は好きにやらせて貰いました。まあ、指示してもあまり言うことを聞かないと思われていたのかもしれませんね。ただ、要所では指導されました。本来は、箸の上げ下ろしまで言う人でしたが、おそらく、私がキューサイにいた時に一つの成功モデルを作ったので、多少は信頼されていたと思います。
尾崎: 成功モデルとは何ですか?
緒方: 通販のモデルです。キューサイは元々通販会社ではなかったんです。ヤクルトレディさんのような在庫を持って彼女たちのルートで販売するというモデルでした。そこに、テレビCMからレスポンスを受けてコールセンターなどで販売する直販モデルを創ったんです。スタートして2年で年商20億円くらいまで伸ばすことができました。
尾崎: 当時、インターネットは無く、テレビ通販の時代でした。「ジャパネットたかた」があったくらいですかね。
緒方: そうです。「ジャパネットたかた」が産声を上げた時期ですね。その当時は再春館製薬所などに勢いがありました。
らでぃっしゅは2008年にIPOを達成しましたが、2012年8月にNTTドコモ(以下、ドコモ)の子会社になりました。ベンチャーは強烈な独立心を持っており、特別な理由がなければ、ドコモのような官僚的大企業の傘下に入ることを嫌うものです。
業務提携できる「安定株主」を探す
尾崎: 上場後3年半でドコモの子会社になったということは、早い時期から子会社化の計画があったはずです。子会社化は既定路線だったのですか?
緒方: いえ、実は既定路線ではなかったんです。MBOした後、現物株ではベンチャーキャピタル(VC)が100%近い大株主でした。IPO前、取引先にVCから5割くらい株を買ってもらい、VCの持ち株比率を約49%まで下げたんです。上場すればVCは株を売却しますから、安定株主になりません。
尾崎: 上場審査では、VCの持ち株比率が高いと、IPOに待ったがかかります。しかし、49%という比率は依然、高いです。審査したJASDAQはよく許しましたね。
緒方: VC持ち株比率が一応50%を切っていたので、何とかセーフでした。ただ、東証一部・二部市場に上場する場合は、さらに比率を下げるようにしなければならないようです。
尾崎: 上場後にVC保有株を買って安定株主になってくれるところが必要だったわけですね。
緒方: そうです。また、単なる安定株主ではなく、キチンとした業務提携が出来る会社に大量に持ってもらいたいと思いました。IPOしたときから、そういった株主を探すことを重要な経営課題としていたのです。
尾崎: 当時の新聞の書き方は、「らでぃっしゅ、ドコモの傘下に入る」でした。しかし、このような背景があったのですね。
緒方: 大手流通や野菜とは無縁の異業種など、色々なところからラブコールがありました。私たちの基本的考え方は、上場は続けて、どこかと業務提携をして伸ばしていきたいということでした。どういう会社が提携先として理想的かというと、優良な顧客資産を持つ異業種でした。ドコモとの協議を重ねていくうちに、もっとがっちり組んで事業を進めていきたいということになり、本格的な業務提携の話が始まりました。
環境NPO的な組織だったらでぃっしゅが、MBO、IPO、M&Aを経て資本市場のアクティブプレーヤーに変貌したことに、私は以前から注目していました。その過程で緒方さんの緻密なマネジメントがあったことが分かりました。次回は商品戦略、ドコモとの提携の内容についてお聞きします。
緒方大助(おがただいすけ)氏略歴/1960年、福岡市生まれ。「キューサイ青汁」(現キューサイ)入社、2000年らでぃっしゅぼーや社長に就任。2008年ジャスダック上場を果たす。2013年同社会長
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