TPPで日本がインフラ輸出を成功させる条件: ポイントとなるのは「グローカル戦略」の修正
TPPによって変わるインフラ輸出
日米両政府は4月3日、日本のTPP(環太平洋経済連携協定)への交渉参加を巡る事前協議において大筋で合意したと発表した。これから米議会の承認を得て、日本は7月にも交渉に正式参加できる見込みになった。国内では農産物や工業製品の関税ばかりにスポットライトが当たっているが、注目すべきはTPPによって公共事業の仕組みが変化することである。
TPPでは、「政府調達の開放」が交渉対象に含まれる。橋、鉄道、港湾、水道などの公共事業を外国企業が手がけられるようになれば、加盟国から競争力の高い企業の参入を広く募ることができる。
自民党の中には、東日本大震災の復興事業や国土強靱化政策でせっかく公共事業が増えるのに、それを外国企業に奪われるのは困るという声がある。それは当たっているが、TPPによって現在、公共事業をオープンにしていない国の市場に日本が参入できるというプラス面もある。
TPP交渉参加12カ国(含む日本)のうち、世界貿易機関(WTO)の政府調達協定(GPA)に加盟しているのは、日本、米国、カナダ、シンガポールだけである。TPPによって、ベトナム、マレーシア、インドネシアの公共事業がオープンになれば、国際競争力がある企業にはチャンスである。
海外市場をターゲットにした公共事業と「インフラ(社会基盤)輸出」は、ほぼ同じ意味で使われている。インフラ輸出とグリーンラッシュはどのような関係があるのか。グリーンエネルギーや省エネを本格的に導入しようと思えば、「街づくり」のグランドデザインから始めて総合的に行わないと、大きな効果は期待できない。つまり、インフラ整備はグリーンラッシュに不可欠なのである。
例えば、家庭やオフィスにグリーンエネルギーを導入しても、街全体の省エネが不完全だとあまり意味がない。また、ガソリン車を大幅に電気自動車(EV)に変えても、そもそも車の数が多すぎれば渋滞が解消されない。単にガソリン車を減らすのではなく、EVの導入と並行して、職住接近の街づくりや公共交通機関の整備を行わなければ効果は出ないのである。
このコラムでは、インフラ輸出を成功させるために重要なポイントを、「グローカル」「リバース・イノベーション」という概念を使って解説する。
「単品輸出」の発想では成功しないインフラ
日本など先進国は、発電設備、鉄道、空港、港湾、水道施設などのインフラを海外に輸出してきた。「インフラ輸出」は自動車や家電などの単品を輸出することとは異なり、技術、製品、建設ノウハウ、オペレーション・メンテナンス(O&M)などを相手国に総合的に提供することが重要である。アジア開発銀行の試算によると、今後10年間にアジアで必要とされるインフラ投資は8兆ドル(約720兆円)に上る。
インフラ輸出は企業が単独で行うのではなく、図1のように、メーカー、建設会社、サービス会社がグループを作り、政府と連携して交渉することが多い。必要な資金も巨額なので、政府系金融機関、民間銀行が融資団を組んでサポートし、貿易保険の適用も必要である。2010年10月、日本政府とベトナム政府の間で交わされた、原子力発電所の建設についての戦略的パートナーシップはインフラ輸出の成果例である。
インフラ輸出はODA(政府開発援助)とセットで行われることが多い。ODA支出の問題点は、設備や機器(ハード)の購入は認められやすいが、O&Mなどの人件費(ソフト)は簡単に認められないことである。政府資金はハードを好む傾向があり、また、資金使途をソフトまで広げると金額が膨大になり、被援助国の国内産業振興を妨げてしまう。しかし、このような使途制限は、せっかくのODAの効果を減殺してしまう。
使途をハードに限定する結果、設備や機器を提供するのは日本であっても、O&Mを提供するのは日本以外の企業になってしまう。設備や機器の提供は一回限りだが、O&Mは長期間続き、現地で雇用を生む。従って、この場合、被援助国は日本企業よりも欧米企業に恩義を感じるだろう。また、サービス業務を発注する資金がない国では、せっかく日本が提供した設備や機器が十分に使用されずに、無駄になってしまう。
高い品質だけでは市場に評価されない
インフラ輸出の典型である水ビジネス(水道インフラ)の場合、日本のコスト競争力に問題がある。日本には、2006年時点で全国に1572カ所の水道事業体があるが、役所が事業主体なので企業並みのサービスを行った経験がない。これでは、国際市場でコスト競争に勝つことは難しい。
ただ、コスト競争力が低い反面、日本の水インフラの質的競争力は高い。日本の水道の漏水率(管の漏水によって利用地までに失われる水の比率)は国際比較で非常に低い。東京都水道局の調査によると、2007年の東京都の漏水率は、わずか3.6%である。海外の大都市を見ると、ロサンゼルスが9.6%、ロンドンが26.5%、メキシコシティやバンコクは30%を超えている。東京の水道の質がいかに高いかが分かる。
しかし、「品質が良ければ売れるはずだ」という思い込みはインフラ輸出の足かせとなる。水道が整備されていて当たり前の日本と、漏水が多く、衛生状態が悪い新興国とでは、求めるサービスの質が異なって当然である。日本標準の質を持ち込んでも、ローカル市場のニーズやコストに合わず、過剰サービスになってしまう。
水道インフラ事業を伸ばすためには、新興国ごとに異なる都市構造、汚染状況、規制、住民の慣習などを理解しなければならない。そのうえで、配水管、浄水場、メーターなどを建設・管理し、現地の職員をマネジメントするのである。このようにインフラ輸出は、グローバルな規格を押さえて大量生産で利益を上げるモデルと違い、ローカルな市場ニーズにきめ細かく対応するものである。
古くなってきた「グローカル戦略」
新興国のローカルなニーズにきめ細かく対応するためには、日本は従来の戦略を継続して良いのか? この問題を考えるため、「グローカル戦略」と「リバース・イノベーション戦略」の違いを見ることとする。
これまで、グローバル市場を目指す場合、「グローカル戦略」が取られてきた。「グローカル」は、「グローバル」と「ローカル」を合わせた造語で、先進国の本社(グローバル)で製品開発を行い、現地法人(ローカル)が新興国のニーズに合わせた改良版を出す戦略である。自動車、家電など大半のグローバル産業でこの戦略が取られてきた。
グローカル戦略は、日米欧の先進国市場シェアが圧倒的に大きい時期はうまく機能した。新興国の主な消費者は先進国の影響を受けた一握りの富裕層だったため、ニーズが似ていた。ところが、新興国で中間層のシェアが大きくなると、先進国のニーズを改良した製品では市場ニーズをつかむことができなくなる。また、新興国市場のシェアが上がっているので、失敗した時の悪影響が以前より大きい。
グローカル戦略の欠点を修正した新しい戦略
これらグローカル戦略の欠点を修正した新しい考え方が「リバース・イノベーション戦略」である。(図2)この戦略は「製品開発の機能を本社だけでなく新興国にも置いて、新興国の市場で成功した製品を逆に先進国でカスタマイズして販売する」もので、製品開発機能を先進国に集中させているリスクを回避するのである。
リバース・イノベーション戦略は、米ゼネラル・エレクトリック(GE)のジェフリー・イメルト会長が、米ハーバード・ビジネス・レビュー誌2009年10月号に「GEはいかにして破壊的な自己革新を成し遂げるか」という論文を寄稿した際に紹介したものだ。
イメルト氏は、リバース・イノベーション戦略の成功例として、中国における医療機器の開発を挙げている。日米でよく売れる1台1000万円以上もする超音波診断装置が、中国の病院では全く売れなかった。性能の評判が高いにもかかわらずなかなか売れない。そこで、日米市場と中国市場との違いを分析したこところ、前者は性能を重視し、後者は価格、持ち運びやすさ、操作しやすさを重視することが分かった。
調査を基に、中国用にラップトップパソコンにインストールできるソフトを開発して、150万円程度の価格で売り出したところ、たちまちヒット商品になった。ここで終わるとグローカル戦略とあまり変わらないが、そのソフトは米国に「逆輸入」され、救急医療や事故現場での簡易診断装置としてヒットしたのである。「先進国が主、新興国が従」という従来の発想を逆転させている。
GEの中国プロジェクト・チームが成功した要因として、以下の5つポイントが指摘されている。
1.成長市場に有能な人材を配置する(米国本社に集中するのではない)
2.ゼロベースで製品開発を行う(前例にとらわれない)
3.チーム結成は新会社設立と同様に行う(研究開発、製造、マーケティング、販売すべての機能をチームが持つ)
4.目的や目標をカスタマイズする(本社の基準にとらわれない)
5.開発チームを本社経営陣直属にする(ローカルマネージャーの力量だけでは、開発の調整力に限界がある)
インフラ輸出では「上から目線」を排除すべき
ここで指摘されているのは、新興国ではハイテクよりも、ローテク技術・ノウハウへのニーズが意外に高いが、本社が現地に任せきりにするとうまくいかないことである。また、新興国用にカスタマイズした製品は、先進国市場でも結構伸びる可能性があることが重要である。先進国のユーザーも、必要以上に高機能で値段が高い(オーバースペック)製品への不満が強いからだ。
リバース・イノベーションはインフラ輸出における製品開発、O&Mにおいても大いに当てはまるだろう。世界市場の未来を予想する場合、つい先進国の目線で考えがちだが、今後はうまく機能しないと思われる。なぜなら、新興国の市場シェアが伸びて、早晩、先進国がマイノリティーになることが確実だからである。「製品を提供してやる」という「上から目線」ではインフラ輸出は機能せず、潜在的に大きな市場を取りこぼすことになる。
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